執事抄

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 往生浄土のためにはただ信心をさきとす、そのほかをばかへりみざるなり。往生ほどの一大事、凡夫のはからふべきことにあらず、ひとすぢに如来にまかせたてまつるべし。

すべて凡夫にかぎらず、ふしょの弥勒菩薩をはじめとして仏智の不思議をはからうべきにあらず、まして、凡夫のせんちをや。かへすがえす如来の御ちかひにまかせたてまつるべきなり。これを他力にきしたる信心発得の行者といふなり。さればわれとして浄土へまいるべしとも、また地獄へゆくべしとも、定むべからず。

 

蓮如上人の書と言われています。

さすがにきれいに書かれています。

 

すべて如来に任せよと言われているようですね。

 

祖父は地獄行と書かれていましたが、それはこの文章に反します。ただ信心を先とすることが大切なのでしょう。信心とは。はてさて。地獄へ行くという言葉がすごいと思っておりました。自分自身で決めることをすべきではないのですね。