我が家には雪見障子があります。
昭和37年に完成ですから、もう57年でしょうか。
家を建てるときに祖父が自分の山の檜を提供してくれました。
その面影を知るにも増築、改修をしておりますので僅かしか残っておりません。
檜の柱には一つの面に割を入れております。
雪見障子の障子を張り替えることにしました。20年前に替えているようです。
雪見障子を取り外すにも仕掛けがあるようです。よく考えたものですね。
ばねが両側についています。溝には取り外せる板が埋め込まれています。
障子をはがすのですが、これもきれいにはがすことができました。
霧吹きで水をかけるときれいに取り外すことができました。
障子をきれいに張るときも霧吹きを吹き付けるのと同じ要領なのでしょうか。
障子があることはなぜか心が和むような気がいたします。
機能の面からするとどうだろうとも思いますが、一間だけゆとりの部屋があってもいいのかなとも思います。
仏壇があり掛け軸をかけるところがある八畳の和室。雪見障子があって縁側がある。
以前はそこにテレビがあったのですが今はそこには本棚と食器棚があるだけ。
来客が来られた時の部屋に変わります。
もう一つの部屋の障子を外せば十六畳の部屋に変わります。
今の生活とはかけ離れているでしょう。わたくしの次の代で変化してくるかもしれません。しかし、この家の成り立ちだけは伝えておきたい。
隣の祖父もこの家の建設には監視役、接待役の役割を果たされた。
二人の祖父があり、それを動かす二人の祖母。ありがたいご先祖です。
ファミリーヒストリーを見ているような思いです。