二人の祖父。

本日は母方の祖父の命日。

祖母は昭和45年に旅立っている。

祖母はわたくしをかわいがってくれた。

祖父は米寿の祝いの後、昭和54年に旅立っている。

祖父は厳しい人であった。行儀作法にはとくに。

我が家は昭和37年に建てられたが二人の祖父のおかげでもある。

母方の祖父とは山に行って材木を運んだことある。

祖父は山の中でたばこをおいしそうにすう。その煙がそのあたりになびく。

何とも言えぬ光景である。

我が家の柱は祖父が山から切り出したものである。

改修しているので多くの柱を目にすることはできないがその当時としては立派なものであった。そのおかげで今も保っている。2回の増築にも耐えている。

父方の祖父は建設中毎日大工さんとの付き合いをしてくれています。

祖父の家の隣の畑の後に我が家がある。

祖父の家は3代目が手放して、今は別の家が建てられている。

何とも言えぬことである。

我が家も代が変われば手放されるかもしれません。

家を維持していくだけでも大変です。

昭和6年ごろにこの地に住宅が建てられました。

年々変わってきております。

そのころ10歳の方が今は100歳になられています。

100年を迎えることはできるでしょうか。

11軒ある一角で、変わっていないのは6軒です。

この地は、鉄道の踏切が遮断されれば袋小路になります。

それでいいのか、有事の時を考えておかなければなりません。