同期の桜

同期とは小学から大学の時に一緒に学んだとも。

就職の時に一緒に入社したとも。

それぞれに思いがある。

この歌もよく歌ったがセリフがあったとは。

私の叔父は特攻隊に志願して終戦後帰ってきた。

辛かった思いをかき消すようにふるまっておられた。

理不尽なことを経験されていたのであろう。

同期の友は多く旅立っている。わたくしが今できることは何なのだろう。

友との思い出を思い出すことだろうか。共に過ごしてきたことを大切にしたいものである。

 

鶴田浩二 「同期の桜」 台詞


昭和20年3月21日 陽光麗らかな日
「美しく立派に散るぞ!」 
そう言って一番機に向かう戦友(とも)の胸に、
俺はまだ蕾だった桜の一枝を飾って送った 明日は俺の番だ
死ぬ時が別々になってしまったが、靖国神社で逢える
その時は、きっと桜の花も満開だろう

3月26日 花爽やかに開く日
お父さん、お母さん、只今より出発します
この世に生を受けて二十三年 
まさか、お父さんやお母さんより早く死ぬとは思ってもいませんでした
お母さん、「泣くな」と言うのは無理かも知れません
でも、どうか「よく死んでくれた!」そう言って下さい
私達は祖国を護る為に死んで行くのですから

4月2日 春雨の煙る日
幸か、不幸か、俺はまだ今日も生き延びている
だが、雨が上がり、虹が橋を架け、茜色の夕燒け空が拡がる時に、俺は必ず征く
後に続くことを信じて
俺達の死を決して、犬死にしてもらいたくないのだ
海軍少尉、小野栄一、身長五尺七寸、体重十七貫五百、極めて健康!

     「同期の桜」 歌詞


貴様と俺とは同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く
咲いた花なら散るのは覚悟 みごと散りましょ国の為

貴様と俺とは同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く
血肉分けたる仲ではないが なぜか気が合うて别れられぬ

貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く
仰いだ夕焼け南の空に 未だ還らぬ一番機

貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く
あれほど誓ったその日も待たず なぜに死んだか散ったのか

貴様と俺とは同期の桜 離れ離れに散ろうとも
花の都の靖国神社 春の梢に咲いて会おう

「美しく立派に散るぞ」「祖国を護る為に死にます」…どんなに勇ましく立派な言葉で飾ろうとも
愛する人、想いをよせる人の為、自分の未来の為に本当は死にたく無かったはず
ろくに操縦訓練も受けられず、かろうじて飛ばせらるだけの技量で
爆装した重い機体を目印のほとんど無い海上を敵艦隊へ飛行させるだけで無茶なことだったろうに…
当然、レーダーで待ち伏せしている敵戦闘機の防衛網の中へ無理やり突入、
かろうじて戦闘機の迎撃をくぐり抜けても、まともに空母に突入することは出来ず
ほとんどが対空砲火の餌食か艦体の遥か手前や通り過ぎて海面に投入して自爆…まさに無駄死に…
当時の記録映像でそのシーンが流れると艦橋付近とは言わないが
せめて船首か船尾に掠るだけでもして欲しかった…いや掠らさせてあげたかった…
そう思うのは不謹慎なのだろうか?間違ってるのだろうか?