平成を振り返って

平成に変わった時は私は単身赴任の時であった。

管理職3人とも単身赴任であり、天皇陛下がお隠れになった時は3人とも自宅に帰っていた。職場に電話があったようだ。3人の管理職に連絡がつかなかった。

私には直接のお叱りはなかったがあまり良い気持ちはしなかった。

私にとっては平成とはどんな時代であったのだろうか。

和歌山から、奈良、滋賀、京都、大阪へと転勤をした。

和歌山以外は我が家からの通勤。

京都では、上への話もあったが、もう一人の先輩も候補に挙がっていた。

お先にどうぞの考えであった。

その後大阪では3人の上司に仕えた。

それぞれに特徴があってよい経験をした。

定年前の2年は、自分の思うようにさせていただいた。

もっと早く気づければよかったとも思ったが2年でよかったのかもしれません。

そのあとの5年は嘱託で。2年目の時に他の施設に恋われていっては見たが自分自身に耐える気持ちがなく3か月で辞職。3年目に再雇用。よく雇ってくれたものである。

その時の上司は申し訳なかったとの思いであったのかもしれません。

いろんな出来事があったでしょう。いやなこともあったでしょう。

自分の気持ちは決して変えない頑固者なのでしょうね。

おもねらない心があるからでしょうか。

決して上品とは言えませんが恩師の言葉を常に思っております。

人事課には嫌われていたのかもしれません。

最初の転勤の話があった時に自分の都合で断りました。

これが響いたのでしょうか。

転勤では長男にも迷惑をかけました。

千葉から大阪への高校受験ができませんでした。

大阪への転勤の内示が必要であると。

結局転勤は和歌山で、単身赴任でしたが。

平成の後の8年は年金生活

私にとっては平成は普通の生活を経験した年です。

暗くはありません。苦楽とともにでしょうか。

 

本日の百人一首

88.難波江の 芦の かりねの ひと夜 ゆゑ

   身を つくしてや こひわたるべき     皇嘉門院別当

 

   あなたとわたくしは、たったひと夜のかりそめのちぎりをかわしたばかりに、私は生命をつくしても、死ぬまでも恋いつづけてゆくことであろう。