父親が昭和60年2月の末に旅立ちました。
その時は関東におりましたし、その時期はすでに次の勤務先も決まっておりました。
2年間新しい勤務先の後、母親のいる家の近くの勤務先を希望しておりました。
長男の高校入試もありました。大阪の公立高校の入試はできませんでした。
越境入学人るということです。大阪に転勤することが分かればいいのだそうですが事前の内示はできません。
決まったのは和歌山。通勤範囲ではありません。単身赴任となりました。
母親の介護が必要な時期を迎えました。
週2回のデーサービスから始まり、その後介護施設への入園。
自分で食べれなくなった時には介護の人のほかに家内も通ってくれました。
介護の期間は長いです。20年はあったでしょうか。
義母は96歳で旅立ちましたが、一人で32年不自由なく過ごされました。
その義母が言われた言葉、娘に対して、良い嫁になるな。
家内のことを思われて言われた言葉。自分を大切にしろ。
倒れてしまっては元も子もありません。
今考えてみると私への言葉でもあったようです。
もっと大事にせよと。
子供たちに迷惑をかけないようにしないと。
いずれみんなたどる道ではあるのでしょうが、お互い気を付けていきたいものです。